平成最後の夏。
それはロックフェス・氣志團万博にとって、7度目の夏。
小学校低学年の頃だろうか。
クラスが変わる度に問われた。
“将来の夢は何?”
「プロ野球選手!」
「警察官!」
「消防員!」
「お花屋さん!」
「ケーキ屋さん!」
新たなる級友たちが無邪気に答えていく中、自分はわざわざ「科学者」だったり、「総理大臣」だったりと、おそらくそれらの職業がどんな仕事をするのかもよくわからずに、ただ「子供達が驚きそうなこと」「大人達が喜びそうなこと」を想像し、得意げに発言していたことを覚えている。
何てこまっしゃくれた小僧だろう。
今目の前にいたら、平手打ちの一発でもフルスイングでお見舞いしてやりたい。
それから高学年になり、サッカーに夢中になった。憧れだったのはプロの世界よりも「全国高校サッカー選手権」。市立船橋高校の背番号7番、野口選手がヒーローだった。夕暮れのグラウンドでボールを蹴りながら、日本中の若者達から羨望の眼差しを送られる自分の姿を夢見た。
それも束の間、中学になり、自分の資質に疑いを持った。あまりにも圧倒的な身体能力を持つ同級生達をわんさか目にして、あっという間に自信を喪失したのだと思う。
部活にもあまり行かなくなった。
そんな頃、ロックンロールに出逢った。
痺れた。
彼らがどんな生い立ちなのか、必死で調べた。
信じられない逸話が飛び出した。
学生時代、音楽の成績が1だったという。
当然楽譜も読めないらしい。
震えた。
なんならチビでも、デブでも、バカでも、ブスでも、衝動と情熱と閃きさえあれば、喝采を浴びる職業があることを知った。
「俺にも出来るかも知れない…」
それがすべてのエネルギーの源だった。
あれから30年。
沢山の夢を見た。
沢山の現実を見た。
何も知らなかった頃、「科学者」だの「総理大臣」だの大言壮語を吐き散らかしていたあの小僧。
ちょっと世の中を知ったぐらいで慄き、傷つき、逃げ出したあの小僧。
あいつが、まさかの、未だにロックバンドをやってる。
もしかして…もしかして彼は世の中を変えた?
ううん、残念ながら。
平成30年。
平成最後の夏。
平成元年、平成最初の夏にギターを手にした少年が、そう、あの口だけ野郎が、この元号が終わる年まで、変わらずに続けられた唯一のこと。
「子供達を驚かせたい」
「大人達を喜ばせたい」
平成最後の氣志團万博。
今年も最強無敵のロックンロール・ヒーロー達が、この辺鄙な街に大集結してくれます。
彼らが織り成す、想像を絶する幸福感が、すべてのクラウドの目と耳と心を贅沢三昧にもてなす、史上最高の二日間。
あのこまっしゃくれた小僧が今目の前にいたら、平手打ちの一発でもお見舞いしてやりたい。
そして、その後、固く握手を交わしたい。
“夏草や 兵どもが 夢の音”
太陽と潮風の国で、君達を待ってる。
氣志團万博実行委員長
日本ヤンクロック連盟終身会長
綾小路 翔